親鸞聖人の教え

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  • 称名念仏(しょうみょうねんぶつ)。念仏「南無阿弥陀仏」を称えること。善導大師に影響を受けた法然上人は称名をもっぱらにする専修念仏を選択した。親鸞聖人によると、念仏は単にわれわれ人間の側から称えるものではない。仏の願いに目覚めさせようとする仏からの呼び声である。すなわち心から念仏を称えようと思ったとき、その人は阿弥陀仏によって救われているということである。
  • 他力の教え。「他力というは如来の本願力なり」(教行信証より)。他人まかせという意味ではない。他力とは阿弥陀仏の本願を指し、阿弥陀仏の智慧と慈悲(本願)のはたらきによってのみ救済される。修行などを否定するわけではないが、自らの力で悟りを開こうとすることは不可能に近いくらい難しいと捉える。
  • 悪人正機。悪人こそ救われる。自分の愚かさに気づく人間こそが、救いの機会をもった人間である。ここでいう善悪とは法的な問題や道徳的な問題ではなく、仏の視点による善悪である。当たり前ではあるが、「欲望のままに悪事を行っても良い」などという事はない。親鸞聖人は、「凡夫(人間)は無知な煩悩が身にみち、欲にきりなく、怒り、腹立ち、嫉妬ばかりしている」と自分を含めた人間を厳しく見つめた。その中で、おのれを恥じ、いたみ、悪人であると自覚した者こそ救いを得ると説いたのである。

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